2025/08/07 20:46


このブログを始めて6年が経とうとしています。


現在、僕は介護の仕事をしています。僕の場合はその中でも重度訪問介護という、身体的に不自由であったり重度の知的障害であったり、常に日常生活において介護が必要だという方のお宅にお邪魔して、清拭、排泄、調理、洗濯、掃除など、生活全般における援助という形で幅広く支援する仕事になります。


小さい頃から絵を描いたりモノをつくったりすることが好きで、漠然と自分は将来そういった関係の仕事に就くんだろうなと思っていました。


ただ紆余曲折あり今に至ります、端折ります。


自分がどうなりたいか、何をしたいか、というのは結局、どうしたら幸せを感じるか、どうしたら一番生きていることを実感できるか、という所に僕の場合は結びついていて


自分の作品が誰かに褒められたり認められたりしたらそれは幸せなことだし、創作活動は今でも生きていることを強く実感できることの一つです。


ですが、以前接客業をして、人とコミュニケーションをとっていく中で得られた充実感もまた幸せだったなと思いました。


そんな風に、自分はこれが向いている、これがしたい、という先入観の外側にもたくさんの可能性があって

たくさんの幸せが日々の中にはゴロゴロと転がっていました。


これって頭では理解していても中々心の底では実感できないことなんですよね。


今は、自分のにとっての当たり前が何らかの理由で当たり前ではなくなった人たちと接することで、価値観が変わり始めています。


僕は普段から自炊しますが、先週あるお宅で朝洗濯を回した後すぐ味噌汁を作り、ご利用者さんに出汁が効いてて美味しかったと褒められ、またあるお宅では口腔ケアの際、手首のスナップが聞いてて上手だね、よく磨けてるよと褒められたこともあります。こんなところにもささやかな幸せがあります。


生きてると辛いこと悲しいこと、次から次へと訪れますが、その中に紛れこむ小さな幸せ、その粒を見逃さないで欲しいと思います。よく見逃しちゃうんですけどね。






もちろんこういった環境特有の経験も多いです。


この3ヶ月で、支援先のご利用者さんが3人も亡くなりました。


中々感じたことのない感覚で未だ完全に言語化できない気持ちがずっとどこかにあるままです。


昨日話した人が今日この世にいない


というのは不思議で掴みどころのない感覚です。



そんな経験を重ねるとやはり死生観について考えることが多くなりました。全ての人に死は平等に訪れますが、この環境ではより死を身近に感じ、逆に生を見つめ直す時間が長くなります。これもまた"当たり前"について考えるきっかけの一つです。


いつかこの思いや経験を活かした自分の創作活動ができればと思い、現在あれこれ頭の中で考えを巡らせているところです。



僕が今いちばん伝えたいことは


別に頑張らなくても良いのでまた明日からも生きていきましょう。


ということです。



僕はいま生きていることを強く実感しています。



あ、あとめちゃくちゃ元気です!



またいろいろ報告しますね。